2018/01/18 12:40

戌年が始まって半月が過ぎた。「リバプールにいるだけでビートルズを感じるように」、戌年というのを思い出すだけで少しテンションが上がる。
そう、僕は犬が好きである。物心ついてからウチに犬がいなかったことはないし、小学生の頃に病気の犬を助けて病院に連れて行ったこともある。そういえば最近はノラ犬を見かけなくなった。ハタチぐらいの時はまだそこそこ見かけたが、寂しい限りである。
近年は犬や猫の殺処分ゼロ運動も少しずつ広がっているらしく、差別だセクハラだと血眼になっているキチガイ魔女狩り野郎共ばかりではなくマトモな人達もいるんだなと嬉しくなる。
しかし、考えてみるに、干支の中に犬はいるが猫はいない。犬派?猫派?などとイデオロギー論争になるにも関わらず。ノラ犬は見かけないが、ノラ猫は未だ見かける。この差は一体何なのか。
生前、ウチの父親は犬は好きだったが猫は嫌いだった。一目惚れで犬を買ってきた事もあるし、道で迷子になってた犬を預かって、そのままウチに住みついた事もあった。しかし、本当に不思議であるが、こと猫に対しては、「このクソ猫が!」と追っ払う。元々気性の荒い人だったのであまり気にもしていなかったが今思うと本当に不思議である。
一度ウチの中に猫が入り込んでいた事があった。布団の上にウンコをしていたり、悪さをするので探したが見つからない。家の中を走っているのを見かける度に、捕まえようとするが見失う。そんな事を何日かやったある日、昼ぐらいに起きて便所に向かった。すると猫が奥の部屋へ向かって走って行った。
捕まえようとするのも面倒くさくなっていた僕は便所を出た後父親にその事を告げた。すると、
「そうか…」
と一言つぶやいて、いつの間に買ったのかコルトガバメントを取り出しスライドを引いた。その時父親の目は完全に殺し屋のそれだった。
奥の部屋に消えていく父。聞こえてくる発射音。そして「ニャー!!!」という声。
戻って来た父親に、「いけたんけ?」と聞くと、
「あかんかった」
と一言。そらそうやろ。エアガンで仕留めれるかいな。そう思ったが僕は何も言わなかった。
人と猫の間には何か大きな軋轢があるのかも知れない。父親のコルトガバメント事件を思い出す度にそう思えてならない。